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この見ゆる 雲ほびこりて との曇り 雨も降らぬか 心足(だ)らひに

この見ゆる 雲ほびこりて との曇り 雨も降らぬか 心足(だ)らひに

「この見ゆる 雲ほびこりて との曇り
    雨も降らぬか 心足(だ)らひに」

どうもSHIBAです。

これは1270年前の今日(旧暦749年6月1日)、大伴家持が雨乞いのために詠んだ歌です。

「今この見えている雲が一面に広がって雨が降ってくれないだろうか、心ゆくまで」という意味の歌らしい。

この年の5月6日(旧暦)から1ヵ月弱も雨が降らない状態が続き、田や畑が枯れ、このままでは秋の収穫が心配だということで詠まれたようです。

個人的には「ほびこりて」という表現が気に入っているんですが、一般的には「はびこって」とか「広がって」という意味で解釈されています。
中には「雲がほころび破れて雨が降る」という意で解釈される場合もあるようですが、いずれにしても良い響きだと思いませんか?「ほびこりて・・・」

国守として越中に赴任中に起きた干ばつですが、どうも純粋に雨を恋しがる歌ではないようです。

というのはちょうどこの時期、都では大仏の建立中で、金が不足していて完成が頓挫しかかっていた時に陸奥の国で金が出た!ということで、それはそれは天皇も喜んで詔を発せられ、その中には代々に渡って天皇家に尽くしてきた大伴一族の功績を褒め称えた内容もあったようです。

ということは、家持の心境としては「ここで秋の収穫ができなかったら天皇の期待に応えられなくなる」という危機感があったのではないでしょうか。
当時の税収といえば稲作ですからね。

大伴家は藤原家や橘家などと並んで有力な一族でしたから、自分の任官中に大凶作なんて許されなかったんだと思います。

これはもう、ただの雨乞いではなくお家事情が絡んだ歌だったと言えそうです。


ちなみに、この3日後。旧暦の6月4日に念願の雨が降るわけですが、この時に家持は祝いの歌を詠んでいます。


「 我が欲りし 雨は降り来ぬ かくしあらば
     言(こと)挙げせずとも 年は栄えむ」


「言挙げ」とは「言霊(ことだま)」みたいな意味で、「やっと雨が降ってきた。この様子なら言葉にしなくても、放っておいても豊作になるだろう」と喜んでいる様子が伺えます。

面白いのは、この前までは深刻なまでに神頼みだったのに、雨が降ったら神に感謝するのも忘れて楽観して喜んでいるようなところ。

なんだか今も昔も変わらないなぁと親近感を覚えてしまいます。


(SHIBA)