【哲学?】 人は「順番」に支配されている
「宇宙」と書いて「そら」と読むガンダム世代こと、どうもSHIBAです。
2年前にメルマガで書いたことですが、僕気付いちゃったんです。
人間の思考や判断って「順番」なるものに左右されているんだな、ってこと。
例えば、二人の女性を例にしてみます。
Aさんは30代の未婚の女性とします。
結婚願望はあるけど自分の周りの友達の誰も未だ結婚していないので、「自分はまだ大丈夫」と焦ってはいません。
かたや、Bさんは20代のやはり未婚の女性だとします。
こちらは結婚について未だ意識していなかったのに、周りの友達がみんな結婚してしまったので、「次は自分の順」なのだと急に焦り出しています。
さて。この二人には、ある共通点があります。
そう。女性ね。それも未婚の、ってコラー!(独りノリツッコミ)
それは、結婚の適齢期を年齢ではなく「順番」で判断しているということ。
これは友達との比較による順番ですが、「兄や姉がまだ結婚しないから」という人もいるでしょう。
判断基準が年齢ではなく「順番」。そういう人は結構いると思いますよ。
「死」についても同様かと。
自分の「死」を意識するのはいつごろからでしょうか。
自分の年齢がいくつだろうと、親がまだ健在なら「順番的に自分はまだまだ」と思うものではないでしょうか。
でも親がチョー長生きして気が付いたら自分の方が衰えていて「あれ?自分の方がヤバくね?」と急に感じるとかね。
と、このように人間て「順番」というものに従順な生き物なんだなと思うわけです。
言い換えれば、逆に「順番」が狂ったりすると、適応できない性質でもあるわけで。先ほどの例だと、子が親より先に逝くのは誰だって受け入れ難いですよね。
この「順番」という概念。無人島で自分ひとりだったら存在しない概念です。だからある意味、「順番」に従って生きていくことは、複数の人間が同居する社会においてごく自然的というか人間的なんでしょうね。
「人間」という字は、「人」と「人」の「間」にあって「人間」と書きますからね。人間らしく生きるとはそういうことなんでしょう。
P.S.
先日、嫁っちとスーパーで買い物してて、レジに並んでいたときのこと。
通常、どのレジの列に並ぶか判断するときに、行列の長さで判断しますよね。「順番」が少ない方が早いから。
でも、本当は各レジ係の処理能力差や、各お客の買い物カゴの中身の量によって相当左右されるわけで、行列の長さが全てではありません。
その日、僕は「順番」に惑わされず総合的に判断して選んだレジに並ぼうと思ったら、嫁っちに単に行列の短いレジを選択されてしまったんですよ。
「ねぇ。あっちの列の方が早いと思うよ」と言っても相手にされず。
案の定、僕の言った通りの展開になって「ほらね」とドヤ顔で言うと
「小っせ!男のくせに小っせ!」
と言われるしまつ。
僕はまだまだ人間的でないってこと?
(坊やだからさ SHIBA)