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2015年03月

【健康】 タバコは吸うからイライラするんだよね

君と別れてから、もうすぐで4年。

すっかり忘れていたよ、君のこと。

怒らないでくれ。これでも一寸前までは、付き合っていた頃の君との夢路を辿ってばかりいたんだぜ。

可笑しいだろ。君のこと、なかなか忘れられなかったなんて。僕の方から君を求め、捨てたのも僕の方なのに。

君は何も悪くないし、仲たがいをしたわけでもない。

むしろずっと好きで好きで好きで、君のことが好き過ぎて。君がいない明日は想像出来なかった。

なのに自分のことばかり考えていて、君のこと大切にできなかった。あの時の僕がもう少し大人だったら・・・

だけど、ごめんよ。僕はもう君のもとには戻らない。

だって煙たいから


I Loved たば子



tabaco.jpg

禁煙して4年が過ぎました、どうもSHIBAです。

タバコを止めて分かったことがあります。いや、止めたからこそ分かったというべきか。

それは、

タバコを止められない本当の理由…


喫煙者がタバコを吸う理由っていろいろあると思いますが、一番多いのは「ストレス解消」ではないでしょうか。イライラしていても一服すると不思議と心が落ち着くからです。

でも実はこれ。大きな誤解をしています。

実際はタバコを吸うからイライラするのです。

「え?」と思われるかもしれません。喫煙者は認めたくないでしょうね。僕も喫煙をしていた時は認めなかったかも。

いやね。イライラしている時にタバコを吸えば、確かにスッキリするんですよ。僕の体験からもそれは間違いありません。はらたいらに全部賭けてもいいです。

でもそれって一時的なんですね。あくまでもニコチンによる一時的なストレス解消でしかない。

そしてやがて効果が切れたとき、しかも今度はニコチン切れの禁断症状が加わってストレスが増大します。そこでニコチンの禁断症状を解消するためにまたタバコを吸うという、一種の悪循環が始まるのです。

つまり、ストレス解消のための喫煙とは言いながら、そのストレスの原因もまた喫煙なんですね。


でもまあ、タバコは「百害あって一利なし」なんて巷では言われているけど、
(▼o▼)んなぁこたぁない(タモさん風に)

かつての喫煙者の立場から言わせてもらうと、何のメリットも無かったとは思っていません。それが何なのかは、僕は医者でも科学者でもないから説明ができませんが。

でなきゃ20年近く喫煙していた僕の人生を否定してしまうじゃありませんか。「失われた20年」とは言わせませんよ!



(タバコ止めたら15kgも体重が増えました SHIBA)

日本のいじめ問題の背景にあるもの(後編)

『日本のいじめ問題の背景にあるもの(前編)』 の続き

どうも、SHIBAです。

高度成長期、共同体は農村から会社へと変わっていきました。
会社の中で村社会が形成されるようになったわけです。

長いものには巻かれろ、出る杭は打たれる。
この意識は舞台が農村から会社へ移っても変わりません。

年功序列、終身雇用というシステムはとても日本的だったといえます。

ところが高度成長は過ぎ、会社はそのシステムでは生き残れなくなった。
実力主義やリストラ。
家族のような存在であった会社が、単なる会社になってしまった

共同体の崩壊です。

「故郷」から「都会」へ移った人たちにとって、唯一会社が共同体の場所であったかもしれません。

共同体に頼れない、また頼っても意味がない。となれば、今度は「個=プライバシー」を重んじるようになります。

「おせっかいの風習」は必要としなくなったのです。

そして「空気を読む風習」だけが残りました

定時で仕事が片付いても上司や同僚が頑張って残業していると自分だけ早く帰るのがなんだか悪いことのように感じる。もちろん会社から残るよう命令されているわけではない。堂々と帰っても良いはずなのに、空気を読んで自分も残業してしまう。

昔ならここで「気にしなくて帰っていいんだよ」とおせっかいな人のひとりぐらいはいただろう。

でも今はそんなおせっかいな人は絶滅危惧種で、仮におせっかいな人がいて「帰っていいよ」と言われても、空気を読んで帰らない。
本当に帰ってしまうと後で気まずくなる場合もあるからだ。

ホンネとタテマエの文化ですね。

かつては空気の読める人がおせっかいをしていたのに、
いつしか「おせっかい=空気の読めない人」になってしまった

川崎中の事件では、
主犯とされている18歳の少年の犯行の動機は、男子生徒が顔を腫らしていることに気付いた部活の先輩らが、事件の8日前に、18歳の少年の自宅を訪れ謝罪を要求したことの逆恨みだったというではありませんか。

おせっかいな行動が犯行の動機となってしまったとしたら、
今後ますますおせっかいが出来なる社会になりそうで心配です。

でもこれが現実なのかもしれません。


いじめは「いじめっ子」と「いじめられっ子」の問題ではありません。
傍観者」が大きな鍵を握っています。

日本のいじめの構造の特徴として、この「傍観者」の多さが挙げられます。

http://stopijime.jp/data/
統計データ:ストップいじめナビ


これは「傍観者の出現率の学年別推移」の国際比較です。

11_1.png


そしてこれは「仲裁者の出現率の学年別推移」です。

11_2.png


年を重ねるにつれ、、「仲裁者」(止めろと言って止めようとする)と「通報者」(先生に知らせる)が減少し、「傍観者」(別に何もしない)の割合が増えていくことが分かります(ストップ!いじめナビより)

成長すると空気を読むことを覚えていくようになる。
「おせっかいの風習」が無くなり「空気を読む風習」だけが残った結果、
このようないじめの構造を作ったのではないでしょうか。

傍観者は「事なかれ主義」ですからね。

村社会の悪しき部分がいじめの背景にあると思います。


日本においてはネットの世界だけが唯一、空気を読まなくてよい社会かもしれません。

一部を除くSNSなど匿名性の強いネット社会では、面と向かっては言えないことも平気で言える環境であります。

実社会とネット社会では、意見の潮流が真逆である場合がしばしばあります。

例えば韓国や中国に対する国民感情など。

実社会ではタテマエで過ごしてしている傍観者のホンネがそこにはあります。

もちろんネット社会の意見が真実だとは限りませんし、正しいとも言えません。
モラルの低い発言ですからね。

しかしネット社会の発言がモラルあるものにするには、
まず実社会において「脱・傍観者」になることから始まるんじゃないですかね。


ストップ!いじめ

(家庭内傍観者 SHIBA)

日本のいじめ問題の背景にあるもの(前編)

どうもSHIBAです。

日本ではいじめが社会問題として騒がれると、
昔と今のいじめの質の違いが議論の争点になることがしばしばあります。

現代のいじめは陰湿である。昔は暴力的だったが今のような陰湿的ではなかった、と。

果たしてそうなのかな?
主観的な捉え方に過ぎないのではないか。
昔だって陰湿ないじめはあったかもしれませんよ。話題にならなかっただけで。

このような議論は不毛なのではないかと思うんです。

それよりも。

日本のいじめ問題には、日本特有の背景があると考えています。

それは村社会の名残りかと・・・

あくまでも僕の考えですよ(正しいかどうかは別として)


日本は古くから「村社会」という伝統的社会の構造を形成しています。

起源は江戸時代といわれたりもっと昔からとも。

農耕民族だった日本人にとっては、村社会で相互に助け合う必要があり、
寄合いや祭りのしきたりなども村社会で共有する共同体でありました。


このような農村社会では、共同体を維持する必要があり、
そのためには所属する村の掟に従うことが絶対となります。

そしてそこに「村八分」を出さない知恵なども自然に発生します。

この現象は今の社会でも根付いていますよ。

例えば学校である議題について賛成か反対かを教室で決定する時。

この時「AさんとBさんとCさんと・・・・の過半数を超える24名の反対により、この提案は否決されました」などと決定することはありません。

実際はこんな風

議長「賛成の人?」
拍手 シーン
議長「反対の人?」
拍手 パラパラ
議長「反対の方が多数により、この提案は否決されました」

おいおい、反対の方が多数といっても過半数もいないだろ、ってな感じです。

そう、この拍手で決めるやり方。
ここに村社会の特徴があります。
誰が賛成したとか反対したとか明確にしない。
つまり発言の責任者がいません。
みんなで決めたことになります。総意ではないのに。

これが「村八分」を出さないための風潮です。

農村社会ではずっと同じメンバー構成で仕事をしなければなりませんでしたから、
人間関係で気まずい関係になったりしこりがあると困るわけですよ。

村で何かを決めるとき、誰が賛成したとか反対したとか、明確にするとやりにくいわけ。

だから何となく雰囲気で決める
事なかれ主義ですよ。

これが今の日本社会にも根強い「空気を読む風習」です。


そしてもうひとつ。

村社会には「おせっかいの風習」も存在しました。

共同体である村社会では子供はみんなの子供でした。
他人の子であれ、悪いことをする子には注意する。
村全体で子供を育てるのが当然の社会。
プライバシーもへったくれもありません。

人間関係でトラブルがあれば、必ず誰かが仲裁に入る。
どちらかが村八分にならないよう、「おせっかいな人」がそこに割って入り調停します。
調和を重要視する仲間意識が強い社会でもありました


そんな良くも悪くも村社会の構造を維持してきた日本の風習が、
戦後、少しずつ綻びていく事になります。

『日本のいじめ問題の背景にあるもの(後編)』 へ続く

(つづく SHIBA)

イスラム教に対する偏見問題について(後編)

宗教に対する勉強不足や偏見から起こる差別があります。

相手への理解が足りないのが原因でしょうね。

差別ってやあね、どうもSHIBAです。


僕も高校生の時、先生の差別激しかったもんなぁ。
きっと僕の才能を理解していなかったんだろうな…

僕のことはともかく、学校の授業で宗教のことを学ぶ機会を作ってほしいと前回お話しました。

日本が国際社会で立ち回るためにはもっと相手を理解する、尊重する必要があるからです。

ただでさえ日本人には宗教観を持たない民族ですからね。
ましてやイスラム教は特に馴染みがありません。

しかし「馴染みがないから」という理由では済まされない時代になってきているといえます。

まあ、そうは言っても子供にイスラム教のことを教えるのはかなり難しそうなのも確か。

学問として教育しても、かえって苦手意識を持たれそうな気がします。

そこで僕が思うに、物語として聞かせてあげたらどうでしょうか?

宗教にはキリストであれブッダであれ、その人生を語るに面白いエピソードが数多くあります。
イスラム教の開祖ムハンマドも例外ではありません。

例えばこんな話。


ムハンマドが山の洞窟で修行生活をしていた時のこと。

瞑想していていると、突然目の前が明るくなり、人らしき者が立っていました。

え?誰?背中に羽・・・もしや天使?

そう、ムハンマドの前に現れたのは大天使ジブリール(ガブリエル)でした。

狼狽するムハンマドにジブリールは一枚の紙を突き出し
「これを誦(よ)め」

「私は字が読めません!」
ムハンマドは字が読めなかったと言われています。

「では、私の言うことを復唱して憶えろ!」

それは神アッラーの啓示でした。

神の啓示を復唱させられている内に、ジブリールはふっと姿を消してしまいます。

「何だったんだ!今のは?」

仰天したムハンマドはすぐさま修行を止め、家に帰ります。

妻ハディージャに「悪魔に憑りつかれたかもしれん」とすがりつくムハンマド。

山で起きことを話すとハディージャは
「あなたに憑りついたのは本当に悪魔かどうか、私が調べてあげます。今度同じ事が起きたら私に教えて下さい」と冷静な態度で答えます。

さて、しばらくすると、またジブリールが現れたではありませんか。

「ハディージャ!現れたぞ!ここだ、ここにいる!」

ハディージャは何を思ったか服を脱ぎだし、上半身裸になってムハンマドを抱きしめるではありませんか。

「お、おいハディージャ。おまえはいったい何を。こんな時に」

「あなた。悪魔はまだそこにいますか?」

実はジブリールの姿はムハンマドにしか見えないのでした。

「いや、もういない。」

「それならあなた。今のは悪魔ではありませんよ。天使様です」

「え?なんで分かるの?」

「だって、悪魔なら私の身体をニヤニヤしてみているはずでしょ。天使様だったらから恥ずかしくて消えたのよ」

「なるほど」



妻ハディージャは、なかなか機転の利く賢い女性だったと考えられていますが、このことからも分かると思います。

この出来事がきっかけで、ムハンマドは神の教えを広めます(イスラム教の誕生)


しかし、もしムハンマドが「まだそこにいる」と答えていたらどうなっていたか。

ハディージャが「それは悪魔よ!」と答えたでしょうか。

実はその場合でも「あなた、それは天使様よ」と答えていたのではないかと考えられています。

「もし悪魔なら幸せそうな私たちを見て面白いはずがありませんもの。天使様は幸せな光景が好きだから」

とでも言って・・・

つまりハディージャは最初から夫がどう答えようと安心させるつもりだったのではないか。

事実、このあとハディージャは最初のムスリム(信者)になりましたからね。

身をもって夫を支えていたことが伝わります。それにしても賢くて素敵な女性ですね。


宗教を学ぶのに最初はこんな話だったら楽しく学べそうな気がしませんか?


(それにしてもムハンマドは字が読めなかったんですね SHIBA)

イスラム教に対する偏見問題について(前編)

どうもSHIBAです。

「イスラム国」の一連の報道を観ていると、
各メディアがその呼称に頭を悩ましていることが凄く伝わってきます。

ISISと呼ぶメディアもあれば、自民党はISILと表現しています。

NHKは「イスラム国」からイスラミックステートへと表現を変更しました。

どれも同じ「イスラム国」を意味しますが、ムスリム(イスラム教徒)に対して偏見を招く表現だということで、適切ではないという判断からそうなったわけですが。

誤解されないための配慮とはいえ、
それもこれも日本人がイスラム教に対して、
というか宗教そのものに対してあまりにも無知であることに原因があるんだと思います。

「イスラム国」は当事者が勝手に自称している表現であって正確には「イスラムの国」ではないのだから「イスラム国」と表現するのはおかしいとか、だからISのほうが良いとか、いやいやイスラミックステートでしょ、などと表面的な言葉いじりをするのもどうなのか。

そんなことで誤解するなら情報リテラシーの努力不足なだけじゃんと思うんですが、団体名にイスラムという名前が使われていただけで口座が開けなかった地銀が実際にあったわけですからね。

勘違いする人が多くいるのなら、やはり予防するという意味でも呼称を変更するのは仕方ないことなのでしょう。
トルコ政府からも「イスラム国」は止めてほしいと依頼があったようですし。

やっぱりね。こういうのは日本人が宗教というものに無知過ぎるのが問題なのではないでしょうか。

日本が国際社会で立ち回るためにはもっと相手を理解する、尊重する必要があるはずです。

ですので宗教学を義務教育の教科にするべきだと思います。
信仰心を持たせるためではなく、教養として。


宗教に対する正しい知識を身につけていれば「イスラム国」へ参加しようとしたり、オウム真理教へ走ったりすることは無い筈なんですが・・・


宗教に対する教養があれば「イスラム国」を「イスラムの国」と誤解するような問題は起きなかったんじゃないかな?

米国と聞いて「米の国」と誤解する人はいないでしょ?

(最後の例えは違うか・・・ SHIBA)
 

3月映画レビュー『アンコール!!』

アラピアでは毎月4作品の映画を上映しています、どうもSHIBAです。

今月の4作品で僕が個人的に一番オススメは『アンコール!!』

poster.jpg

筋金入りの頑固爺さんアーサーと、明るい性格の妻マリオンの老夫婦を描いたの愛の物語です。


※この先ネタバレ注意!!

アーサーは相当気難しい性格のようで妻マリオン以外からは理解されないタイプのようです。
息子とも溝があるほどです。

明るいマリオンは歌が好き。
老人たちの合唱団「年金ズ」に通っています。

しかし面白くないのはアーサー。
アーサーはマリオンの身体が心配なのです。
なぜならマリオンは病気がち。

屋外での移動は車イス。
合唱団の練習場への行き来は、いつもアーサーが車イスを押して通わなければいけません。

そんな折、マリオンが在籍する合唱団「年金ズ」がコンクールに参加することが決定。
喜ぶマリオンに、素直に喜べないアーサー。

合唱団「年金ズ」を率いるエリザベスはアーサーに、なぜ妻を応援してあげられないのかと問います。
アーサーはただただ妻の健康が心配なだけなのですが、エリザベスには理解されません。

ある日、マリオンが歌の練習中に急に具合が悪くなって病院へ運ばれます。
アーサーの不安が当たってしまいました。

病室で眠るマリオンの寝顔をあとにして、
帰宅後、ダブルベッドでひとり床につくアーサー。

掛布から左手を出し、いないはずのマリオンの手を握るしぐさがとても愛おしいです。

翌日、病院で医師からがんが再発したと告げられます。
「お家に帰って好きなだけ楽しんで」と言われ落胆するアーサーとマリオン。

マリオンが気掛かりなのは、アーサーと息子ジェームズとの不仲。
自分が逝った後、父子助け合って生きて欲しいと願うのでした。

余命数ヶ月のマリオンは合唱団に復帰し、
しかもコンクールではソロで歌うことが決定します。

練習を再開するマリオンのことが心配ながらも見守るアーサー。

そして迎えたコンクール当日。
老人たちのグループ「年金ズ」がロック(ヘビメタ?)を披露。
意表をついた曲に観客たちも踊りだします。
そして2曲ほど歌った後、最後はマリオンのソロ。

曲はシンディ・ローパーの「トゥルー・カラーズ」

懐かしい曲ですよね。
なぜ彼女がこの曲を歌ったのか。曲の中にその答えはありました。

歌詞訳抜粋
「悲しい目をしたあなた 希望を失わないで」の唄い出しで、
「人にあふれた世界では道を見失いがち」
「微笑を見せて 悲しみに沈まないで」
「あなたの笑いを最後に見たのはいつかしら」
「私を呼んで そばに行くから」

そうです。この曲は夫アーサーのために残りわずかの命を削り
全身全霊を込めて唄った歌でした。

夫への愛が詰まった優しい歌声に思わず涙が流れます。

マリオンにこの曲を選曲したエリザベスの計らいも隠れたファインプレー。

しかしマリオンの歌を正面でしっかりと聴き受け止めたアーサーは、
なんだか浮かれない様子。

帰宅後「どうしたの?」と訊ねるマリオンに
「私はずっと君を幸せにできていない。すまない」と零す。

マリオンはアーサーの手を取って
「アーサー・ハリス、愛してるわ。私の前に気難しい顔で現れた日からずっとやっていく覚悟はできていた。支えてもらった」と励ます。

改めてお互いの深い愛を確かめ合った後、
「死んでほしくない。逝かないでくれ」とずっと耐えてきた弱音を吐くアーサー。
優しくそっと身体を寄せ合う二人に感動が止まりません・・・

そしてマリオンは静かに息を引き取ります。



さて物語はここで丁度折り返し地点。


僕はこの段階でもう胸いっぱい。

でもこの作品、本編全部で1時間30分しかないんですよ。

短い中にもいろんな愛の詰まった内容の濃い作品となっています。


喪失感のアーサーは立ち直れるのか?
息子ジェームズとの溝は修正できるのか?

ラストは感動に包まれること間違いなし。


愛と勇気を描いた作品はたくさんありますが、
いつか同じ境遇になるかもしれない自分の将来を想像すると、
アーサーの生き様が心に沁みるものがありました。

この先の展開はぜひ直接観て下さい。

http://urx.nu/hYXN
yahoo映画:『アンコール!!』

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アラピアHP:上映スケジュール(PCサイト用表示にして下さい)



(『アンコール?!』は偶数日の上映ですよ SHIBA)3月映画レビュー『アンコール!!』