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日本のいじめ問題の背景にあるもの(前編)

どうもSHIBAです。

日本ではいじめが社会問題として騒がれると、
昔と今のいじめの質の違いが議論の争点になることがしばしばあります。

現代のいじめは陰湿である。昔は暴力的だったが今のような陰湿的ではなかった、と。

果たしてそうなのかな?
主観的な捉え方に過ぎないのではないか。
昔だって陰湿ないじめはあったかもしれませんよ。話題にならなかっただけで。

このような議論は不毛なのではないかと思うんです。

それよりも。

日本のいじめ問題には、日本特有の背景があると考えています。

それは村社会の名残りかと・・・

あくまでも僕の考えですよ(正しいかどうかは別として)


日本は古くから「村社会」という伝統的社会の構造を形成しています。

起源は江戸時代といわれたりもっと昔からとも。

農耕民族だった日本人にとっては、村社会で相互に助け合う必要があり、
寄合いや祭りのしきたりなども村社会で共有する共同体でありました。


このような農村社会では、共同体を維持する必要があり、
そのためには所属する村の掟に従うことが絶対となります。

そしてそこに「村八分」を出さない知恵なども自然に発生します。

この現象は今の社会でも根付いていますよ。

例えば学校である議題について賛成か反対かを教室で決定する時。

この時「AさんとBさんとCさんと・・・・の過半数を超える24名の反対により、この提案は否決されました」などと決定することはありません。

実際はこんな風

議長「賛成の人?」
拍手 シーン
議長「反対の人?」
拍手 パラパラ
議長「反対の方が多数により、この提案は否決されました」

おいおい、反対の方が多数といっても過半数もいないだろ、ってな感じです。

そう、この拍手で決めるやり方。
ここに村社会の特徴があります。
誰が賛成したとか反対したとか明確にしない。
つまり発言の責任者がいません。
みんなで決めたことになります。総意ではないのに。

これが「村八分」を出さないための風潮です。

農村社会ではずっと同じメンバー構成で仕事をしなければなりませんでしたから、
人間関係で気まずい関係になったりしこりがあると困るわけですよ。

村で何かを決めるとき、誰が賛成したとか反対したとか、明確にするとやりにくいわけ。

だから何となく雰囲気で決める
事なかれ主義ですよ。

これが今の日本社会にも根強い「空気を読む風習」です。


そしてもうひとつ。

村社会には「おせっかいの風習」も存在しました。

共同体である村社会では子供はみんなの子供でした。
他人の子であれ、悪いことをする子には注意する。
村全体で子供を育てるのが当然の社会。
プライバシーもへったくれもありません。

人間関係でトラブルがあれば、必ず誰かが仲裁に入る。
どちらかが村八分にならないよう、「おせっかいな人」がそこに割って入り調停します。
調和を重要視する仲間意識が強い社会でもありました


そんな良くも悪くも村社会の構造を維持してきた日本の風習が、
戦後、少しずつ綻びていく事になります。

『日本のいじめ問題の背景にあるもの(後編)』 へ続く

(つづく SHIBA)