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木下惠介 ・小津安二郎 両監督に学ぶ(前編)

日本を代表する映画監督、木下惠介 と小津安二郎。

この二人の作品には、日本の原風景を感じることができます。

ついノスタルジックになって感動してしまうところが僕は好きです。

まあ感動といっても泣くわけではないですけど。

いや、好きなんだけど「泣く」とは違うと思うんですよね。

 

飾りじゃないのよ涙は、はっはぁ

好きだと言ってるじゃないの、ほっほぅ

中森明菜かな?やかましいわ、どうもSHIBAです。

 

この二人の作品によく見られるもう一つの共通点。

それは「愚痴」が多いこと。

 

登場人物が愚痴を言うシーンのまあ多いこと。

これが日本の原風景だったと解釈すると、昔の日本は愚痴をこぼすことの多かった時代だったということになります。

昔は今より貧しかったでしょうからね。愚痴が多いのも自然です。

でもこれ。裏を返せば、愚痴を言い易い社会だったという意味でもあります。

 

さらに木下惠介 監督の代表作『二十四の瞳』では歌を歌うシーンもよく登場します。

独りで歌うのではなく、みんなで歌うシーンが多い。

貧しい時代なのに何故かみんな明るい。

二十四の瞳.jpg

 

「歌」や「愚痴」が多いということ。

 

それは、喜びも悲しみも、みんなで共有しているということです。

 

今よりずっと貧しかった昔。

みんなが貧しかった。

それが当たり前の時代だった。

当然、寄り添ったり助け合ったりする風土がそこにはあった。

だから貧しくも明るくいられた。

 

少なくとも現代のような無縁社会とは違う時代。

今の時代では愚痴を言ってる奴なんて、弱くて不器用だという価値観ですから。

 

イメージとしては、1台のテレビを集団で楽しむような感じかな?

まあ、これは戦後の話ですけど。

貧しいけれどみんなでその貧しさも楽しみも共有していたと。

で、やがてテレビは一家に1台の時代がやってきて、

さらに一家に複数台が当たり前になり家族で共有することも無くなり、

今ではパソコン、携帯端末へと場は「集団」から「個」へとシフトした。

 

これらの作品から学ぶべきことは多そうです。

・・・続く

 

(日本映画の良さを見直そう SHIBA)