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2015年3月

自衛隊は軍隊か否か(後編) 抑止力の視点から

どうもSHIBAです。


憲法9条は他国からの攻撃、侵略に対する抑止力になりえるか?

通常、抑止力とは軍隊だったり核を武装することで他国に対して影響を及ぼすものですが、
憲法9条には自国に対しても自制する役割もあります。

他国に対する抑止力と自国に対する抑止力。二面性あるのが特徴です

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自国に対する抑止力とは、簡単にいえば日本は二度と戦争しないということ

これまでアメリカ及び国際世論、あるいは国民世論により戦争や紛争へ介入させられる危機が何度かありました。

でもそのたび憲法9条がギリギリのところで歯止めの役割を果たし、
戦火に巻き込まれることなく今日まで続けてこられたわけです。

ただし、他国から攻め込まれた場合はこの限りではありません。

そこで他国に対する抑止力。

最近は「他国から攻撃を受ける危険性が高い場合、自衛のために先制攻撃をする」という先制的自衛を仕掛けることから戦争や紛争が起きています。

へたに攻撃や侵略をすれば国連のみならず世界中を敵に回すことになりますから、大義名分が必要になります。

そこで先制的自衛の行使。

「このまま放っておくと危険だから攻撃しました」ということにすれば大義名分が成立しますからね。
自衛攻撃は自己防衛手段として国連から制裁されることはありません。

しかし日本は軍隊を持っていない(ことになっている)ので、
どの国も先制的自衛を理由に日本を攻撃することは不可能
です。

しかし実際のところどうでしょう。

「自衛隊は軍隊ではない」と考えるのは日本国民だけで、
他国からみれば立派な軍隊だと思っているでしょうね。

「自衛隊は他国を攻撃、侵略のためにあるのではない。自衛のために存在するのだ!」

と言ってみたところで、どの国も

「我が軍だって同じだ。自衛のために存在する」

と同じ事を言うでしょうね。

なので、憲法9条が他国に対して抑止力として効果を発揮するためには、
9条がノーベル平和賞でも受賞して「二度と戦争しない」という憲法だということを、
世界中に知らしめる必要があるかもしれません。



ただし・・・

それが実現したとしても。

憲法9条の抑止力に頼るのは危険ですよね。

というのは、万が一、抑止力にならなかった場合。

「9条?そんなもん知るかヴォケ~」
と攻めて来られたらとんでもないことになります。

無防備であることは非常に危険です。

9条があるから安全だなんて思うこと自体が危険です。


以上のことから、

戦後の日本が戦火に巻き込まれることがなかったのは、

自国に対しては憲法9条が抑止力になっていたため、
こちらから参戦することは一度もなかった。

他国に対しては憲法9条よりも日米同盟、
とりわけ在日米軍基地の存在が抑止力になっていた。

と考えるのが自然じゃないかな?

しかし、今後もこのまま上手くいくとは限りません。

だからこそ自衛隊の存在が重要になってきます。
いつまでも「自衛隊は軍隊か否か」と揉めている場合ではありません。

今後の自衛隊のあり方や憲法改正について議論するなら、
これらのことを踏まえて行うべきでしょうね。


関連記事
『自衛隊は軍隊か否か(前編) 日本国憲法と自衛隊はこうして誕生した』
『自衛隊は軍隊か否か(中編) 自衛隊が存在する理由』

(鍵を握っているのは実は集団的自衛権だったりする SHIBA)

自衛隊は軍隊か否か(中編) 自衛隊が存在する理由

問題です。

日本を守る自衛隊。

日本国憲法では9条に“戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認”が記されているわけですが、さてこの自衛隊。

結局のところ、その存在自体は「合憲」なのか「違憲」なのか?

さぁどっち?・・・・・

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どうもSHIBAです。

前回は自衛隊誕生(正確には陸上自衛隊)のエピソードだったわけですが、自衛隊の存在が合憲か違憲かという論議は昔からあります。

この問題は「そういえばどっちなんだろう?」と思っている人も多いはず。

結論からいいますと、自衛隊の存在は「合憲」です。

ではなぜ。いまだに多くの国民に理解されていないのだろう。

それはやはり歴史の紐を解いていくことで、複雑に絡み合った事情が見えてきます。


日本国憲法がGHQによって草案されたものだということは、前回でも触れました。

しかも当初はマッカーサーも口出ししていて、彼は日本を徹底的に弱らせることが目標でしたから、憲法にも「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する」の一文を加えようとしていました(『マッカーサーノート』より)

しかし、この記述は、国際法上認められている自衛権行使まで憲法の明文で否定するものであり、不適当だとしてGHQによりこの一文は削除されました。

このことからも分かるようにGHQは自衛権を認めていたらしい。本音を言えば、認めたくないけど国際法上「自衛権を認めない」とは書けなかったわけです。

で。

結局、原案から条文化された9条の内容は第1項と第2項とから成り、要約すると

(1)国際紛争を解決するための戦争、武力による威嚇、武力の行使は認めない。

(2)陸海空軍その他の戦力は、これを認めない。

となりました。

これだと、第1項で侵略戦争などは認めていないが自衛行使は認めています。しかし第2項では戦力(=軍事力)を持たない、と言っている。ここがGHQが仕込んだ巧妙なトリックなんです。

つまり、「自衛行使は認めるが、軍隊保持や交戦権は認められていないから、実質的に自衛は無理」と解釈できちゃうわけです。これでは、兵器を相手に素手で戦えと言っているようなもの。戦車に正拳突きするの?ケンシロウかな?

そこで・・・
当時の憲法改正小委員会の委員長であった芦田均が、機転を利かせます。議会に憲法が提出される直前に、9条第2項の冒頭にコッソリと「前項の目的を達するため」という文言を挿入しちゃったんですね(「芦田修正」と呼ばれています)

これで「侵略戦争など行わないために軍隊は保持しない」という意味になり、「自衛権のためなら軍隊を持っても良い」という解釈ができるようになりました。

GHQの目を盗んだかのようですね。芦田均の隠し球によるファインプレーです。

かくして日本国憲法は制定されました。


まもなく朝鮮戦争が勃発。

在日米軍が朝鮮半島へ派遣され、留守となった日本の治安維持のため、日本の再軍備が必要となりました。

そこで誕生したのが警察予備隊。警察といっても、戦車やミサイルで武装されていて誰がどう見ても軍隊そのもの。

自衛権が認められているとはいえ、9条のてまえ、大っぴらに「国防軍」とは名乗れないわけですよ。GHQにしても、これを「軍」として認めてしまうことで武力の増強に歯止めがきかなくなるのを恐れていたのかもしれません。

でもさすがに「警察」は無いよな~。・・・ということで「自衛隊」へと発展。

しかしここでも「自衛」という言葉を強調し、「国防軍」ではなく「自衛隊」。

「○○軍」ではなく「○○隊」

「軍」というフレーズは印象が悪いんだって。

でもね。こんなの言葉のアヤですよ。「自衛隊」の「隊」だって、「軍隊」の「隊」なんですけどね。なんだかなぁ・・・

こんな風にいろいろ遠慮しちゃっているせいで、「自衛隊の存在って憲法違反なのかしらん」と誤解を受けてきたのかもしれません。

日本の領土と国民を守っている存在なのに、そんな窮屈な思いをさせているのは忍びない、と言う思いから安倍総理は自衛隊を「国防軍」と改名させようとしているようです。

ぶっちゃけ、改名しようがしまいが、任務の内容に影響はないんですけどね。まあ、堂々とその存在を認めてあげようということでしょうね。


そんなわけで、自衛隊は事実上の軍隊なんですよ、それも立派な。

それなのに、いまだに「自衛隊は軍隊か否か」だなんて悠長なこと言ってこられたのは、
日本には米軍基地の存在があったから。

在日米軍基地は日米同盟の証として何かと抑止力となっていたんですよね、今までは。

日本を攻撃することは即ちアメリカをも敵に回すことになりますから。

仮にいま在日米軍基地が全て撤退したらどうなるか?

同じ抑止力を維持しようとすればかなりの予算と兵器を導入しなければならないのは明白で、
しかもいくら日米同盟が健在でも在日米軍基地の存在が無いと安全は担保できません


では憲法9条は抑止力にはならないのか?

これについては次回・・・


関連記事
『自衛隊は軍隊か否か(前編) 日本国憲法と自衛隊はこうして誕生した』
『自衛隊は軍隊か否か(後編) 抑止力の視点から』



(つづく SHIBA)
 

自衛隊は軍隊か否か(前編) 日本国憲法と自衛隊はこうして誕生した

安倍首相が自衛隊を「我が軍」と発言した問題が話題になっていますね、どうもSHIBAです。

いや、正確には問題だということにしている。

自衛隊は「軍」ですよ、立派な。

「自衛隊は軍隊か否か」という議論は昔から交わされていることであり、
「何を今さら」という感じです。

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憲法改正論、集団的自衛権論などが話題になるたびに気になるのは、
国民に意識調査(アンケート)すると決まって賛成や反対よりも「分からない」が一番多いこと。

賛成や反対を支持していても、本当は憲法や自衛隊のこと何も知らないでただ賛成だの反対だの言っている人もいるでしょう。

実際には大半が「分からない」であり、そんな状況だからこそ何時まで経っても「自衛隊は軍隊か否か」などという入り口論に終始して議論が先に進まない。本当は日本の安全について議論しなければならないのに。

日本が今まで平和を維持してこれたのは第9条のおかげだと思っている人は、
憲法や自衛隊がいかにして誕生したかを知らないからだと思われます。

メディアの責任もあると思います。
戦後の日本はアメリカに遠慮して、真実ではなく自虐的な歴史認識に偏った報道ばかりしていたでしょうから。

以前は憲法改正なんて議論はありえなかったし、口にするのもタブーでしたからね。

プロパガンダ教育ってコワイ・・・


さて

「自衛隊は軍隊か否か」を理解するには、まず憲法を理解する必要があります。
憲法と自衛隊はセットで考えなければなりません

そのためには、日本国憲法が誕生した経緯を、どうしても知っておく必要があります。なぜならココが一番重要なポイントになるかもしれないと考えているから・・・

といっても、難しい話をするわけではありませんので。あまり構えないでくださいね。


時は昭和20年。第二次世界大戦で日本が降伏し、米軍に一時的とはいえ実質的に日本は占領されていました。

占領していたのはマッカーサー率いるGHQ、俗に言う進駐軍です。だが彼らの本来の役目は占領ではなく、ポツダム宣言の執行でした。

ポツダム宣言の執行とは、戦争犯罪人を処罰し、
・民主主義の確立
・武装解除および非軍事化
この2つを実現させることです(領土問題はややこしいので省略します)


そうした背景のなか、昭和22年「日本国憲法」は誕生しました。

なので当然、日本国憲法には上記の2つの目的(民主主義の確立・非軍事化)を達成するため、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」が謳われています。このへんは学校で習っているはずです。

とまあ、これだけ聞くと、アメリカはいかにも日本のために良いことをしてくれたような印象がありますが、実際には脅威となる日本の軍事力を解体することであり、アメリカにとって都合のいい国家に作りかえることにあったといわれています。要は「もう日本は我々に逆らえないようにしてやろう、牙を抜いてやろう」というのが本音なんですね。

その証拠に日本国憲法の草案・制定はGHQによる関与が大きく、およそ日本人によって作られたものとは言えないからです。

はい。ココ重要。試験に出ますよ。

今でこそ広く認知されるようになりましたが、これがアメリカによる押し付け憲法だと言われる所以です。

日本国憲法は占領という異常事態の下で、しかも、占領軍の圧力に屈して制定されたものだという状況を踏まえれば、この憲法自身、国民主権によるものではないことぐらい常識ある者なら理解できるでしょう。

だから本来ならば、アメリカによる占領が終了した時に、もう一度、今度は日本人の手で作り直さなければならなかったはずなんです。

ところがどっこい(古い表現でスマヌ)、どういうわけだか日本人がこの憲法を気に入っちゃった。当時から今まで一度も部分的な改正すらありません。

アメリカが日本から武器を取り上げようとしたら、自ら喜んで捨てちゃった。みたいな。

面白いのはこの後。

戦後まもなく、時代は「アメリカ vs ソ連」の冷戦構造へと移り、世界は再び緊張状態になります。昭和25年、朝鮮戦争により遂に米ソの武力衝突が実現します。

アメリカにとって、この時の日本は戦場(朝鮮半島)への前線基地のような存在でしたから、日本にも独自の一定量の軍事力が必要だとアメリカの考えが変わってきました。でも日本国憲法では武力の不保持を謳っていますから、アメリカは自ら日本にそうさせたにもかかわらず、今度はこれを改正して武力を持たせようとします。アメリカの都合でしかありません。

でも日本人はこれを受け入れません。心はもうすっかり平和万歳!!

すっかり怒ったアメリカは、米本土からGHQのマッカーサーに「何とかしろ」と通達が届きます。

ところがマッカーサーは日本の軍事解体に躍起になっていましたから、再び日本に武力を持たせろと本土からの指令に「マサッカー」と思ったでしょうね(どうしても言いたかったのオコラナイデネ)

いや冗談抜きでマッカーサーは本土の指令に乗り気ではなかったようです。日本に駐留している米軍だけを朝鮮半島に派遣させます。彼は日本の平和を願ってくれていたのかもしれませんね。

それでも本土の指令には逆らうわけにはいきませんし、米軍が派遣された後の日本の防衛はどうするんだ、ってことになりますよね。そこでマッカーサーは、準軍備的な組織として「警察予備隊」を設立させます。

戦車なんか配備してね。でも戦車ではなく「特車」と呼んだりしてたそうですよ。警察という名ですが軍隊そのもの。

これがのちの自衛隊である。


関連記事
『自衛隊は軍隊か否か(中編) 自衛隊が存在する理由』
『自衛隊は軍隊か否か(後編) 抑止力の視点から』


(つづく SHIBA)

日本人が誇るべき大和言葉

ひだまりで昼寝すると気持ち良さげな季節となりました、どうもSHIBAです。

この「ひだまり」という日本語がなんとも心地いいですね。

「おだまり」だと全然印象変わるんですが (^▽^;)


この「ひだまり」という言葉は「陽だまり」とも表現されますが、元々は「日溜まり」から来ていて、
「日当たりがよくて暖かい場所」という意味です(goo辞書より)

日が溜まる様子なんて見えるものではありませんが、
そう比喩的表現をするところに感受性豊かな日本語らしい美しさを感じます。


そんな日本語の美しさを見直すきっかけを与えてくれる書籍があります。

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http://urx.nu/iNi1
amazon:日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現(高橋こうじ著)


大和言葉とは日本固有の言葉のこと。

例えば最近当たり前のように使われている「チョー(超)」という言葉。
とても便利な言葉ですが、同じ言葉ばかり使い回していると、しつこくて語彙力が貧相になってしまいます。

そこで「チョー(超)」の代わりに、「このうえなく」「いたく」「こよなく」という大和言葉を使えば豊かで美しい表現になると著者は言います。

「チョーおいしい」ではなく、「このうえなくおいしい」


日本語は「漢語」と「外来語」、そして「大和言葉」の大きく3つに分けられます。

大和言葉「始める」の漢語は「開始」、外来語は「スタート」といったように。


この本のなかにはいくつも美しい大和言葉が紹介されていて、
なかなか味わい深いものも・・・

二つばかり紹介しますね。


【折り合う】

漢語だと「妥協する」になりますが、「妥協」には「仕方がないから降りてやった」というようなネガティブなイメージがありますよね。

一方、「折り合う」の「折り」には「相手のために努力する」という意味があるらしい。
「骨を折る」とは単に「骨折する」という意味だけでなく「相手のために努力する」という意味がありますよね。
そして「合う」の主語は「お互い」であるということ。

なので「折り合う」とは「理想の形のためにお互い譲り合って解決方法を見出す」というポジティブなイメージになります。

自分の意見ばかりを主張しない思慮深い日本人ならではの表現ではないでしょうか。



【胸に迫る】

漢語だと「感動した」になりますが、あまりに普通過ぎて気持ちを伝えるには軽い印象があります。

ひと口に感動するといっても、状況によって感情は違います。
そこで・・・
グッと来たなら「胸に迫る」、ずしんと来たなら「胸を打つ」、じわじわ来るものがあるなら「胸に染みる」と使い分けると豊かな表現になります。

余談ですが「胸を撫で下ろす」は漢語の「安心する」と同じ意ですが、
胸に手を当てて安堵している情景が目に浮かぶ表現ではないでしょうか。



このように、日本人ならではの繊細な心情を表現する大和言葉を、僕らは誇りに思うべきかもしれません。

僕もこれからはこのチョー綺麗な大和言葉を多用したいと思いました。

(「陽だまり」よりも「木漏れ日」の方が好き SHIBA)

【健康】 入浴の最適な温度は?

三寒四温の日々もようやく終わり、いっそう春らしくなりました、どうもSHIBAです。

ところで、
お風呂の温度を冬は熱めに、夏は温めにされてる人は多いのではないでしょうか。

あまり気にすることは無いかもしれませんが、
お風呂の温度って健康と関係があって、結構重要なんですよ。

でも熱い風呂が好きな人、温めが好きな人と好みは様々。

結局適温は何度?
と疑問に感じるのも無理はありません。

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実のところ、何度がベストかなんて
その時その状況によって違うものなんです。


一般にお風呂の温熱効果は40℃を境に変わるといわれています。

まあ個人差はあるだろうから一概に何度とは言えないとは思いますが(平熱だって個人差があるので)

なので、目安としては

 熱い(42℃以上)・やや温い(40℃~41℃)・温い(38℃~39℃)

に分けて判断すると良いと思います。


基本的には熱い(42℃以上)は身体によくありません。

というのは熱い温度は交感神経を刺激してしまって自律神経のバランスを崩してしまうから。

交感神経が優位になり過ぎるといろいろ障害があるので注意が必要です。

詳しくは

『【健康】 乾燥肌の入浴法 ~長湯はNG~』 参照
『【健康】 花粉症の入浴法 ~湯気と温度~』 参照
『【健康】 高血圧の入浴法 ~副交感神経を高めることを心掛ける~』 参照


ただし、入浴後も仕事を続けなければならない時、もしくは朝風呂の場合は、
42℃のシャワーや湯船で短い時間サッと刺激してあげると身体がシャキッと目覚めて効果的です。


逆に温い(38℃~39℃)副交感神経が優位になって心身ともにリラックスモードに入ります。

僕はお風呂の一番の効果はリラックスすることだと思っているので、
個人的にはこのくらいが適温です。

眠りの質も高くなりますよ。

『【健康】 お風呂の一番の効果(前編)』 参照
『【健康】 お風呂の一番の効果(後編)』 参照


ではやや温い(40℃~41℃)はどんな時に向いているか。

それは身体が疲れている時。
肩や腰がコっているな、と感じる場合はやや温めで血流を促進させると効果的です。

当然ですが半身浴より全身浴。
マッサージやストレッチなども一緒に合わせるとよりベスト。


さて、冷え性の人にとっての適温は?というと・・・

身体が冷えているんだから熱めの方が良いと思われるかもしれませんが、実はコレ逆効果。

人間の身体は外部から温めても、一時的なものでしかなくあまり効果がありません。

体温調節が上手く機能していないために冷え性になるわけなので、
冷え性を解決するには体温調節が正常に機能することが肝心です。

で、その体温調節は自律神経のバランスと深い関係があると言われています。

ということは?

熱めのお風呂だと交感神経が刺激されますよね。
これで交感神経が優位になり自律神経のバランスが乱れてしまうので逆効果だということ。

冷え性だからといって、熱い風呂に入る必要はありません。



気分転換が目的か(熱め)
血行促進が目的か(やや温め)
リラックスが目的か(温め)

それぞれの用途に応じた温度でお風呂を活用しましょう。


(胃酸の出過ぎで胸やけをする場合は熱めが効果的 SHIBA)

民主主義とテロ(後編)

『民主主義とテロ(前編)』 の続き

どうもSHIBAです。

テロ集団として注目されている「イスラム国」

彼らの理念はイスラム法によって統治されるイスラム国家の樹立。

この理念は何も今に始まったことではなく、
古くは戦後すぐにエジプトで誕生したムスリム同胞団にまで遡ります。

民主主義というより西洋的な世俗主義に抵抗した組織です。

「宗教vs世俗」といったところでしょうか。

かつては西洋における植民地支配が世界を覆っていましたから、
戦後は各地で独立運動が盛んになりました。

「○○民族解放戦線」といった軍事組織が世界各地で誕生します。

やがて精神科医ファノンの著書『地に呪われたる者』で説いた

「暴力は植民地の住民を解放し尊厳を回復する手段である」

という考えが反体制組織の過激派(テロリスト)を形成していくことになったそうです。


ところで「テロ」と「ゲリラ」の違いって何か考えたことありますでしょうか。

ゲリラといえばキューバ革命時のチェ・ゲバラによる戦法で有名ですよね。

調べてみるとゲリラとはスペイン語で「小さな戦争」という意味になるそうです。

戦闘における戦術の名前で、正面から戦闘を行うのではなく、奇襲戦やかく乱戦法などの遊撃戦を展開すること。
主に自分より規模の大きい部隊に対して行う戦術ですね。

これに対し、テロとは目的を達成するために行われる殺戮や破壊行為で警告や脅迫を迫ること。

共通点があるとすれば、ゲリラもテロもどちらも政治目的による行為だということ。

だからね、時々巷で起きる無差別殺人事件があるとよくテロ行為だと報道されることがありますが、政治的なメッセージ性が無いものはテロではないんですね。単なる犯罪行為。

まあ、無差別テロの場合も政治目的のためとはいえ、やっていることは犯罪行為に違いはありませんが。

なぜ無関係な人を狙うのか・・・

彼ら少数派の意見は民主主義の中では切り捨てられるということは前編で言いました。

なので彼らの主張がメディアに注目される必要があった
かつてハイジャックが流行ったのもメディアが大きく取り上げてくれるからです。
それで問題を解決できるとは思ってないでしょうが、少なくとも自分たちの存在や主張を世界に知らしめることが出来る。国際的な注目を浴びることに意味があったわけです。


前編では「暴力的な民主主義によって切り捨てられた少数派からテロが誕生した」と言いました。

過激派(テロ組織)に対し武力行使で鎮圧すればするほど報復テロの連鎖を生むだけだという考え方をよく耳にします。

ではテロ組織と話し合いすれば問題は解決できるのか?
というと、相手が過激派だとちょっと怪しい。

過激派(テロ組織)は平和なんて望んでいないんじゃないかな?とさえ思えます。

というのは、稀に穏健派と民主主義国家が歩み寄り、共存できる方法を探る場合がありますよね。

そんな時、過激派は同胞であるはずの穏健派をも敵視しますからね。
せっかく穏健派が平和の実現を模索しているというのに・・・

イスラムの過激派組織を例にすれば、
彼らは親イスラムのためではなく、反西洋主義(反民主主義)と戦うことに存在意義があるんでしょうかね。

自分らの存在意義を守るには常に敵の存在が必要?
平和が実現してしまうと自分たちの存在意義がなくなるとでも?

そう考えると、彼らの理念は単なる逃げ口上に利用しているだけということになります。


やっていることは犯罪行為ですからね。過激派テロ組織との対話路線は解決策としてはかなりの難題なのではないでしょうか。

だからといって武力でテロを撲滅できると考えるのは間違い。
麻薬犯罪や強盗犯罪が無くならないのと同じです。

結局は国連および国家間が連携し、テロに対し毅然とした態度で臨むほかないんじゃないかな。

テロ行為はどう考えたって「犯罪」ですよ。

でもそれは我々民主主義・世俗主義での常識であって、
彼らにとっては正義なのだから理解し合うのはかなり難しい。

世の中多数決で少数派を切り捨てる民主主義がテロを生んだとして、
では民主主義の本来あるべき姿勢、つまり多数決より話し合いを重んじ、テロ組織とどこで妥協するか、折り合えるか探ろうにも、
それは両者とも民主主義でなければ成立しないというジレンマがそこにあるわけです。


(いつか「宗教vs世俗」の時代が来るのかな SHIBA)

民主主義とテロ(前編)

日本人がテロリストの犠牲になることで、にわかに国内でテロに対する関心が強くなってきたように思います、どうもSHIBAです。

ただ、これまで無関心であっただけにテロを理解するのは困難。

テロってイスラム過激主義者のこと?
なぜ民間人を狙うの?
テロリストって誰と戦ってるの?
そもそもテロの定義って何?

ありがちが疑問ですが、これらを理解するにはまず民主主義について考えてみると面白いことに気がつきます。


民主主義の社会では、
選挙は言うまでもなく「多数決」で決まります。

それが民主主義。

厳密には「民主主義=多数決」でありませんが、
普通はみんなそう思っています。

多数決こそ平等な決定法だと。

はたしてそうかな?



我々はある社会、組織、集団において、
何か物事を決める時に「多数決」を用いることがよくあります。

小学校の学級会長から政治家まで幅広く。

しかし「多数決」には問題があります。
それは少数派の意見が切り捨てられること。

政治家にとって有権者はマーケット。
選挙で勝つためにはより多くの支持者を得なければなりません。
貧困者のような社会的弱者なんて社会からみれば少数派ですし、
政治家にとっても強力なサポートをしてくれる存在でもありません。
どうしても社会的弱者に対する政策に力が入らないわけです。

同等の理由で、
障害者や介護者、少数民族などにも不利な世の中です。

また近年の衆院総選挙では「シルバー民主主義」などと呼ばれてもいます。
「シルバー民主主義」とは、高齢者世代の割合が多くなると、高齢者を優遇した政策を打ち出さなければならなくなって、若者に不利になりがちだ、という意味。

ただでさえ20代の人口は一番少ないのに、投票率も一番低かったくらいですから。
そりゃ若者に対する政策に力が入らないのも分かりますわな。

とは言っても、昔の若者も投票率が低かったと言われていますけどね。

団塊世代が20代の頃の有権者数おそよ2000万人。
ということで、その時の高齢者の3倍いた。
ところが、去年の衆院選での20代は高齢者の半分以下。
しかも投票率は高齢者の半分。

これだけ環境が変化しているので単純には比較できません。
それに、高齢者を優遇した政策は、別に今に始まったことではありません。
高齢者に対する厚い社会保障は昔からあったことです。

だからね。「シルバー民主主義」という言葉には誤解もきっとあるんでしょうけど。

ただね。
そんな風に言われるのも、選挙が「多数決」によって決まる構造ゆえの現象だと思うんですよ。


このように、「多数決」というものが不完全であるにもかかわらず、
「多数決」こそが一番公正な決定法だ、と疑うことがない人は多いでしょう。


おそらくその原因は教育でしょうね。

教育といっても小学校でのこと。

我々は何気に小学生のうちから、民主主義を学んでいるんですよ。

例えば学級会長。

クラスではまず先生が
「誰か立候補する奴はいないか?」
と質問します。

普通は面倒くさがって誰も挙手しません。

ありがちなのは、そのうち誰かがふざけて
「○○君がいいと思いまーす」
と気の弱い子(又はいじめられっ子)を推薦。

「他に誰かいないか?」と先生。
誰も何も言わないので
「じゃあ多数決を取るぞ~。
 ○○君で賛成の人は手を挙げて」

こんな感じで、なかば強制的に決定してしまうこと。みなさん経験ありませんでした?

時に多数決は暴力的な性質を持つのです。
冷静に考えれば、多数決が最善の方法だと言い切れないことが分かるでしょう。

大事なのは「本当にそれで良いのか?」という意見交換、話し合いなんですが。
子どもってそこまで思慮深くない。
多数決で決まったことは絶対だ、多数決こそ正義だと思っていたはずです。

人を決める時ばかりではありません。
遠足でどこへ行きたいかをクラス全体で決める時も多数決ですよね。

多数決の結果「川」が「山」より多数だったとします。
この場合、川に行きたい人の方が多いわけだから、通常は川で決定します。
しかし本当は、ここでも意見交換・話し合いが十分なされたかが大事です。
クラスの中に山について詳しい者がいて、今は季節がらいろんな花が楽しめるし山頂からの眺めも素晴らしいと主張したらどうなるだろうか。
あるいは、川は先日の大雨のせいで濁った水が増水していて、川で遊べないどころか危険性もあるとなったら・・・
多数派と少数派が逆転することもあり得ますよね。

もちろんそれでも多数派と少数派のどちらが正しいかなんて言い切れないのですが。
少なくとも少数派の意見も汲んだうえでの合議なら、結果的に誤った選択だったとしても仕方のないことだと納得もできるでしょう。


ぶっちゃけ、民主主義ってのは妥協することなんですよ。
少数意見も尊重し、賛成派と反対派がどこで妥協するか、折り合うか

派遣村の元村長、湯浅誠さんは「民主主義とは面倒くさくて疲れるものだ」と言います。
意見を調整するのは大変だが、民主主義を守りたいなら、その面倒くささを引き受けなければならないと説いています。


http://tinyurl.com/kj46o9u
amazon 『ヒーローを待っていても世界は変わらない』湯浅誠著

確かにね。
話し合うことは大事だということは分かっているんですが。
それでは話がまとまらず、なかなか進まないのも事実。
そんな役、誰も引き受けたくないですよね。

そこで誰かスパッと決断して行動してくれる人の出現を期待してしまうもの。
政治が停滞していたり不信感が強い時って、そういう傾向にあるみたいです。

しかし「そんな考え方は危険だ」と湯浅さんは言っているわけです。
独裁者を生み出してしまう恐れがありますからね。
ナチスの台頭は民主主義がもたらした欠点でもありました。


さて、そんなわけで
民主主義とは面倒で疲れるものなんですねぇ。


話し合いより多数決。

これを怠り、暴力的な民主主義によって切り捨てられた少数派の意見

ここからテロが誕生します。


『民主主義とテロ(後編)』 へ続く


(民主主義って面倒くさい SHIBA)

【健康】 サウナは心疾患の死亡リスクを下げることが判明?



『長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい』という健康本が100万部を超えるベストセラーになっているそうです。

ふくらはぎマッサージするだけで血液循環の改善になるということが、読者の関心を惹き付けているみたい。

これが「ふくらはぎ」でなく「おっぱい」だったらもっと売れていたんだろうな・・・あ、いえ何でもああありません、どうもSHIBAです。



最近では他にも売れている健康本が増えているらしく、ちょっとした健康本ブームの到来を感じさせます。

僕も関心があるのでよく読んでいるのですが、最新の情報はやはりネットで得ることが多いです。

最近ではこんなニュースがありました。

サウナ

http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_all&k=20150224032405a
時事通信:サウナ通いに寿命延長効果の可能性、フィンランド研究


東フィンランド大学による研究では、
サウナを頻繁に利用する男性は心疾患で死亡する可能性が低いことが判明したと報告されました。

調査対象は中年男性約2300人を、サウナを利用する頻度が週1回グループ、週2~3回グループ、週4~7回グループとに分け、突然死亡リスクの違いを比較したものです。

上記の本文を整理すると

サウナを利用する頻度が1回のグループと比較して


【突然心臓死リスク】

週2~3回グループ = 22% 減少
週4~7回グループ = 63% 減少

【冠状動脈性心臓病リスク】

週2~3回グループ = 23% 減少
週4~7回グループ = 48% 減少

【心疾患による死亡リスク】

週2~3回グループ = 27% 減少
週4~7回グループ = 50% 減少

【全死因死亡率】

週2~3回グループ = 24% 減少
週4~7回グループ = 40% 減少


と、このようにサウナをよく利用するほどリスクが低かったことが分かりました。

今回の研究で、
「サウナ入浴と心臓血管の健康とを関連付けている潜在的メカニズムを立証するには、さらに研究を重ねる必要がある」
と結論付けられています。

サウナが心臓によい理由は不明だということなので、サウナと心臓の因果関係を示したものではないということは注意しなければならないでしょうね。

また、調査対象がサウナ大国フィンランドによるものですから、日本でも当てはまるかどうかは不明。
ふだんサウナを利用しない人が真似をするのは場合によっては危険かもしれません。


とはいえ、このような結果報告があったのは興味深いです。

サウナで身体が温まり、血管が拡張して血流が良くなるというのは想像に容易です。
ですが、それならば入浴した場合にも同じことが言えるので、サウナでなくても良さそうです。

ただ、入浴では得られないサウナのメリットとして「水圧がかからない」というのがあります。

なのでサウナには心臓負担がかかりにくいのかもしれません。


高血圧の人にとってサウナは強い味方になりうるか?

僕にはまだまだ疑問がありますが、少なくともサウナ後の水風呂は注意した方がいいでしょうね。
急激な温度変化は血圧によくありませんから。


(何でも鵜呑みにするのは危険 SHIBA)

【健康】 タバコが怖い本当の理由


どうもSHIBAです。

「タバコが止められない」という人の言い訳によくあるセリフのひとつ。

それは

「タバコを吸っていなくても肺ガンになる人はなる、吸っていてもならない人はならない。だから関係ない」

というもの。

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確かにこの言い分は一理あります。

しかしこれにはちゃんと理由があって、タバコが関係ない訳ではありません。


そして喫煙の一番のリスクは肺ガンだと思っている人は多いと思いますが、それは正しくありません。


タバコが怖い本当の理由は別にあります。


少し話は逸れますが、
人は呼吸をして酸素を体内に摂り込みます。

酸素は人が生きるうえで必要な存在ですが、
摂り込んだ酸素のごく一部が「活性酸素」となります。

この活性酸素はとても強い毒性を持っていて、
免疫細胞の一部はこの活性酸素を武器に細菌など病原菌を退治しています。

しかし困ったことに正常な細胞まで攻撃してしまうので、
いろんなリスクを誘発してしまいます。


時には正常な細胞を悪性にしてしまう、いわゆるガンの発生リスク
時にはコレステロールを酸化させて血管を詰まらせてしまう動脈硬化のリスク
そして皮膚の細胞がダメージを受ければシワやたるみを招きます。

あらゆる細胞を傷つけるので、活性酸素は老化現象の真犯人といえますね。


普通に生活しているだけでも活性酸素は発生しますが、
紫外線の他、ストレスや生活習慣の乱れはさらなる活性酸素の発生原因になります。

特に喫煙は活性酸素を招くと考えられています。

喫煙の一番のリスクはこの活性酸素による身体の酸化です。
よく「身体がサビつく」と表現されます。


活性酸素が原因で肺ガンになる人は、その理由が喫煙であるとは限りません。
ストレスや加工食品などが理由である可能性あるので、
確かに喫煙者でなくても肺ガンになる人はなるんですね。

でも喫煙によりガンになるリスクが高いことには変わりありません。

しかも、肺ガンどころか咽頭がん、胃ガン、食道ガンなど様々なガンのリスクとなるわけです。


仮にガンにならないとしても動脈硬化の進行は避けられません。

やがて心疾患(狭心症や心筋梗塞など)や脳卒中(脳出血や脳梗塞など)を引き起こすリスクは飛躍的に上がると言われています。

こちらの方が怖いかもしれませんね。

他にも当然、呼吸器系の疾患や肌荒れの原因にもなりますから・・・


これら全て活性酸素による酸化が原因。


最近は抗酸化作用を持つ食べ物がアンチエイジングになるとして注目度が高まってきていますが、
いくら抗酸化物質を摂取しようとタバコを吸っていたら意味がないと思いますよ。
 

身体にとって良いことをするよりも、悪いことを止める方が先かと。


(そういえば今日は北陸新幹線の開業日ですね SHIBA)

 

【健康】 禁煙すると太るというのは本当か?

よく聞きます。禁煙したら太ったと・・・

本当に禁煙すると太るのでしょうか。

実は僕も禁煙して瞬間最大20kg太りました、どうもSHIBAです(瞬間最大風速みたいに言うな)


太った原因が禁煙によるものかどうか分かりませんが、
太り始めたタイミングが禁煙と同時だったので無関係ではないと思っていました。

ところが最近、こんなニュースがありました。


http://urx.nu/inI8
最新健康ニュース:禁煙による腹部脂肪の増加は一時的なもの


実験で喫煙者が8週間禁煙してみた結果、当初は腹部に脂肪が増えたが、
数か月後に望ましい逆転が生じたそうです。


2型糖尿病リスクの原因となるインスリン抵抗性も変化はなかったと・・・


なあんだ。太った原因は禁煙のせいではなかったのかぁ。

と安心するのはまだ早い!

よく読むと何人を対象に実験したのか触れていませんし、
「当初は腹部に脂肪が増えた」という表現も気になります。

一時期とはいえ、禁煙すると太るのは本当のことのようです。

なぜ太るのか知りたいところですよね。

禁煙との因果関係は?

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「禁煙すると食事が美味しくなって食べ過ぎてしまうから」とばかり思っていましたが、
それだといつまでも太ったままですし。

結局そこから先は生活習慣の自己管理能力の問題だということになるんでしょうね。


(ダイエット中 SHIBA)