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格差是正について考えてみた

どうも、SHIBAです。
いま、世界の各先進国では「格差社会」が問題視されています。

日本も例外ではなく格差社会が国会の議論の争点となっています。
先日の代表質問で民主党は格差問題を1丁目1番地と位置付けました。

世界中でベストセラーになったトマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』が影響しているのかもしれません。

これまで格差問題といえば、「貧困層」をどう救い出すかが議論されてきましたが、
「富裕層」のあり方に着眼することはあまりなかったので、ピケティ氏の理論は多くの人々の関心を集めています。

いわゆる「富の分配」のあり方についてです。


ただ、格差問題は今に始まったことではありません。

僕が格差問題で気になるのは「格差是正」についてです。

ピケティ氏のような「富の分配」が理論通りに機能すれば、
確かに格差は縮小するかもしれません。

しかしそれは、既に格差が生じた後に行われること。

格差が生じていること自体が問題であり、
民主主義ならばそのような不平等がない社会でなければなりません。

と、こう言えば、「資本主義なのだから強者と弱者がいて当然。平等主義では競争原理が働かない」と思われるかもしれません。

ちょっとややこしいのですが、僕の言う「格差是正」とは、「機会の平等」です。

民主主義が保障する「国民の自由や平等の人権」の「平等」とは、「結果の平等(所得や富)」ではなく「機会の平等」であるはず。

分かりやすい例でいえば、教育の格差

仮に全く同じ教育を受けた二人の子供の成績に差がつけば、将来の生活水準にも差がつくのは仕方ないことです。

ですが、才能は全く同じでも受ける教育レベルに差があれば、これまた成績に差が生じ、将来の生活水準にも差がつきます。

稀な成功例だけをピックアップして、「貧しくても努力すれば報われる」というのは綺麗ごとでしかありません。

そもそも教育に格差が生じるのは、教育もまた投資だから。

富裕層にとっての関心事は「教育、投資、税金」

投資能力のない貧困層には教育を受ける機会から既にハンデがあるのです。
つまり貧困層の子供は生まれながらに不利な状況に置かれていることになります。


2年ぐらい前だったかな。『Woman』というテレビドラマでシングルマザーを演じた主演の満島ひかりさんのセリフがとても印象的で、


「子どもを育てるのは難しいことじゃないんだけど、難しいのは独りでやることで。
 ただ簡単に出来ることが急に難しくなる。

 子どもを連れて町に出て歩くと一番耳にするのが舌打ちと咳払い。

 お金無くなって、私昔からお寿司はいなりが好きで、パンもぶどうパンが好きで、なんでか。
 安上がりだなぁって思ってたんですけど。
 今は子どもにそれすら食べさせられない、満足に。
 「お腹すいた」って言わせてる。

 何より「ああぁ」って思うのは、子ども残して仕事に出かけることです。
 仕事しているあいだ想像して、私が居ない間に何かに巻き込まれていたらどうしようって
 怖いこと想像して、帰って寝顔見てもまだ全然安心できなくて。

 「お金が無い」って人にいうと「母の愛があれば大丈夫」って言われます。
 そうか?そうかな?
 お金で買えない幸せあるって言うけど、そういうこと言う人はお金を持っていて、
 私はとにかくまずお金で買える幸せが欲しい。
 お金じゃ幸せ買えないかもしれないけど、お金って不幸になることないし、って」



母子家庭の問題を描いたドラマでしたが、と同時に「子供の貧困」への問題提起でもあったように思います。



実は日本は「子どもの貧困率」の高い国です。

貧困の国というのは、飢餓で苦しむようなどこか貧しい国のお話のことかと思うかもしれません。

例えば食糧難にあったり、学校が無かったり、紛争状態にあったりする地域の。

それは「絶対的貧困」といって、生存するための最低限必要レベルのことで、
今ここで話している貧困率は「相対的貧困率」と呼ばれるのもです。

国によって生活水準は違いますが、その生活水準を大きく下回り、その国では当たり前と思われる生活ができないレベルにあることを「相対的貧困」といいます。

「絶対的貧困」と「相対的貧困」は分けて考えるべきなんですね。

例えば修学旅行へ行く金が無くて自分だけ行けない子がいたとします。

村人みんなが裸足で生活しているような修学旅行など無いような地域においては、そんなことなど問題にもなりません(みんながそうだから)

しかし、日本のような先進国においては非常に困るわけです(みんなと違うから)

それが「相対的貧困」です。

そしてそのような貧困は、今に始まったことではなくて昔からありました。

高度成長期には目立たないだけ。経済成長が緩やかになることで格差が目立つようになります。

ピケティ氏が言うところの「r > g」(「資本収益率>経済成長」を表します)でしょうか。

そしてもう一つ大きな要因として「無縁社会」があると僕は考えています。

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『二十四の瞳』にこんな場面があります。
家が落ちぶれて村から出て行かなければならなくなったと泣いている女子生徒を、大石先生が抱きしめてこう言うんです。

「あんたが苦しんでるの、あんたのせいじゃないでしょう?
 お父さんやお母さんのせいでもないわ。
 世の中のいろんなことからそうなったんでしょう?
 だからね、自分にがっかりしちゃだめ。
 自分だけはしっかりしていようと思わなきゃね。


 先生無理なこと言ってるようだけど、先生も他に言いようがないのよ。
 そのかわり、泣きたいときはいつでも先生のとこいらっしゃい。
 先生も一緒に泣いてあげる」


先生は別に上手なことを言っているわけではありませんが、寄り添う。
それが何より大事なことだと思い知らされます。

いま「無縁社会」に必要なのは、ネットで共感しあうことではなく、
この大石先生のように思いっきり抱きしめてやることだ


ネットではこの体温は伝わらない。

ちなみにこの1分18秒からのシーンで少し観ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=JptRRM1wVbE
youtube 『二十四の瞳 予告』



ここで問題なのは、たちの悪いことに貧困は世代に渡って連鎖すること。
ピケティ氏の視点でいえば、富裕層もまた財産の世襲が連鎖します。
そしてより格差が広がります。

貧困の連鎖を断ち切るには、国に期待してもダメだと思います。

国がこうした貧困に苦しむ国民を救うのは当たり前です。
しかしそれはあくまでも支援や保護といったセフティーネットのこと。

民主主義の根幹は「国が国民のために何かをするのではなく、国民が国を動かしていくこと(国民主権)」にあるはずなので、先ず国民の意識から変わっていく必要があるかと思います。

無縁社会やネット社会の現在では難しい問題です。

結局、格差是正なんて無理なのかと思うと、確かに資本主義とは何なのかと言いたくもなります・・・


(日本は空気が支配する国だからせめてそこに期待したい SHIBA)