どうもSHIBAです。
今月の29日、日光猿軍団が復活します。
2013年に閉園されたテーマパークですが、
このたび、「反省ポーズ」の猿回し芸で知られる村崎太郎さんが引き継いで再出発とのこと。
http://mainichi.jp/select/news/20150319k0000m040114000c.html
毎日新聞:日光猿軍団 猿回し芸「反省ポーズ」の村崎太郎さんが継承
村崎さんといえば、自ら被差別部落出身であることを公表したことで話題になったことがありましたね。
日本で途絶えていた猿回しを復活させ、次郎の「反省ポーズ」で一気に人気者になった、
あの村崎さんがずっと苦難を耐えてきていたなんて、それまで全然知りませんでした。
村崎さんは「今でも部落差別はある」と言います。
だからこそ公表したわけですけども、いかにして苦悩を乗り越え今に至ったか。
ご自身の自伝『橋はかかる』にその全貌が分かります。
http://urx.nu/j3lm
Amazon:『橋はかかる』(村崎太郎著)
村崎さんの経歴は素晴らしく
1991年「文化庁芸術祭賞」受賞。
1992年アメリカ連邦協議会から「日本伝統芸」の称号が授与されたほど・・・
そんな村崎さんですが、実は被差別部落で生まれたことで、小さい頃から過酷な差別を受け、被差別部落出身であることを伏せて人気者でいた頃も苦悩を抱え、結婚も二度失敗しています。
それもこれもみんな部落差別のため。
そんなに部落差別って酷いのかと思うと同時に、
今でも部落差別というものがあるんだと初めて実感しました。
ずいぶん前に『破戒』(島崎藤村著)を読んだことありますが(途中まで)、
あれは小説ですしね。
また自分の人生の中で被差別部落出身の人と出会ったことが無かったし。
いや、本当は出会っていたかもしれません。僕が知らなかっただけで・・・
でも逆にこんな風にも感じました。
今まで被差別部落出身の人と関わる事が無かったのは幸いだったかな?とも。
相手が被差別部落出身の人だと知っても僕の態度が変わるわけではありませんが、
事情を知ってしまうことで「これまで差別で苦しんできたのかな?」とかこちらが勝手に余計な同情とかしてしまいそうでね。
だからといって変に優しくしてあげようとか、それ自体が差別みたいじゃないですか。
何も知らない方が差別問題は起きないとも思いますが、
実際にはそういうわけにもいきませんからね。
現実を知った時に対応出来なくなってしまうわけですから。
部落差別問題の一つは、かつて貧困がゆえに就学できないことでした。
部落解放運動によって教科書無償化など、その問題は解消されましたが、
村崎さんによれば、それでも周囲の視線は変わらなかったと言います。
村崎さん自身、一生懸命に勉強して進学しても友達にこう言われたそうです。
「でもな太郎、いくらいい学校を出たって大きな会社には入れんからな」
就学差別に加え、待ち構えていたのは就職差別でした。
被差別部落と分かるとどんなに優秀でもダメだったらしい。
村崎さんは東京に出て出自を伏せたまま猿回しで成功。
それでもその間、初代次郎の死や父親の死。そして二度の離婚に加え、出自を隠してきた苦悩などからうつ病になり、自殺を考えたこともあったそうです。
転機は三度目の結婚相手となった栗原美和子さんとの出会い。
美和子さんに惚れた村崎さんは、思い切って部落出身であることを打ち明けた時
美和子さんはこう言ったという。
「ならば結婚します」と。
「被差別部落出身だから、いい
人の傷みを体験した人だから、いい
その傷みを乗り越えてきた人だから、いい
人の傷みを知っている人は人を傷つけるようなことはしない。
部落出身という生い立ちを持っているあなただから、
きっと弱さと強さの両方を痛いほど知っているんだろう、と。
私はそういう人と出会うことを待っていたんです」
何十億人いようと、一人の人が理解をしてくれる。心が救われる瞬間だったと村崎さん。
そして二人は結婚。
翌年、美和子さんに背中を押されたこともあって、村崎さんは「被差別部落出身者」であることを公表。
ずっと出自を隠しながら猿回しをしていた時の葛藤から解放された瞬間でした。
ただ出自を明かしたことで仕事は激減。身内や関係者から苦情もあったそうです。
村崎さんはそんな代償を払っても勇気を持って公表できましたが、
大半の人は出来ないそうです。
そりゃそうだよね。公表できない人の気持ちを考えるに、それは、自分は良くても周りに迷惑をかけてしまうことを考慮してのことなんだろうね。
こうしていつまで経っても差別の連鎖は続くんでしょうね。
貧困の連鎖と同じ構図です。
だからこそ自らを切り込み隊長だと宣言する村崎さんには頑張って頂きたい。
猿回しという伝統を引き継ぐのはとても大事なことですが、
我々は被差別部落問題までも受け継いではいけない。
(日光猿軍団が閉園していたことも知らなかった SHIBA)