「よく夢を見ますか?」という質問は、とても違和感を感じる表現です。
夢というのは、目が覚めた後にその光景が思い起こされて初めて「夢を見た」ことになるからです。
夢を見たとしても、思い起こされることが無ければ、夢は見なかったとされる。
だから「よく夢を見ますか?」の問いに「いいえ」と答えられる人なんて有り得ない。
本当は毎日夢を見ているかもしれない。思い起こすことが無いだけで・・・
夢とは面白いもので、夢を見ている時にはまだ「夢」は存在していなくて、
夢から醒めた後にそれを思い起こされて初めて「夢」が存在していたことになる。
夢は常に過去形で語られなければならない。
バブル経済とよく似ていますよね。
バブルの真っただ中の時は誰もそれがバブルだとは思わない。
バブルが弾けて初めて「あれはバブルだったのだ」と気付く。
幻想だったのだと・・・
夢はよく「将来の夢」などと例えられます。
しかし先程のように夢は常に過去のものでなければならず、「将来の夢」などと表現するのは不適切だと言えます。
将来実現させたいことを「夢」などと表現するのは間違っています。
何度も言いますが、それが夢であるのは、常に過去形でなければなりません。
「わたしには夢がある」という文章は有り得ないことになる。
正しくは「わたしには目標がある」です。
そしてその目標が達成されなかった時、「あれは夢だった」となる。
金八先生風にいえば人の夢と書いて「儚い」になります。
どんな夢でも、いつかは醒めるもの。
醒めなかったらそれは夢ではなく現実なのです。
逆に「目標」というものは、自分から諦めない限りは必ず達成できるものになります。
達成されないものは夢ですから。
「夢は大きい方が良い」とかいって
「わたしの夢は全国大会で優勝すること」などと表現したいならば、
「わたしの目標は全国大会で優勝すること」と言うべきです。
だいたい「夢」は良いものであるという前提に立って例えられていることも可笑しい。
夢は良いものばかりとは限りませんからね。
試合中に大けがをして優勝どころか今季絶望になることだって有り得るわけで、
その場合は後日に「あれは悪夢だった」と語られることになるでしょう。
いずれにしても、夢を見て生きるってどうなんでしょう。
夢とはいつかは終わる読み切りのドラマでしかなく、
現実は死ぬまで続く壮大な大河ドラマ・連続ドラマなんですからね。
いや。
だからこそ、夢を語れる人って素敵なのかもしれない・・・
(人ってロマンチストだねぇ SHIBA)