(この物語はネットで拾った話などを混ぜたフィクションです)
はじめは拒食症だった―
私はA子。小学生の頃からいじめに遭っていた。
両親には言えなかった。父親はふだんは優しいが酒癖が悪く、酔っぱらって帰ってくるといつも母親に暴力を振るっていた。
私に手を上げることはなかったが、父親が酔っぱらって帰ってくるといつも怯えていた。
だから私は母親には余計な心配かけさせまいと、何も悩みを相談することはなかった。
母親の前では「いい子」でいたかったのだ。
父親の酒乱癖は私が高校受験生の時も続いた。
私は毎日夜遅くまで2階の自分の部屋に閉じこもり勉強に励んでいた。
その下では母親が父親に叩かれているのか蹴られているのか、襖が外れたような音が響いていた・・・
私は勉強に集中していて聞こえない・・・フリをしていた。
進学校に入学した私は、親戚の間でも評判になった。
そんな私を父親も母親も自慢だったようだ。
父親の酒癖は少し治まってきていた。
しかしこの頃から私は急激に体重が減少し始めた。
実は無理して進学校に入ったためか、授業についていけなくなっていたことも関係しているかもしれない。
ダイエットに励んでいたわけではないが、体重が増えないようには意識していた。
自分でも気にはなったが、改善しようとはしなかった。
周りが羨ましがるので、まんざらでもない気がしていたと思う。
15キロ以上痩せたあたりからだっただろうか。明らかに体調が悪化した。
そして今度は異常な食欲衝動に駆られるようになった。
この時は知らなかったが、ヒトの体は望んでいないことをすれば自然と防御態勢に入り、恒常性を保とうとするものだ。
私の体は痩せすぎたことに危機感を感じ栄養を欲していた。いわば自然な反応だったのだ。
こうして私の摂食障害は拒食症から過食症へと180度変わった。
でも体重が急激に増えることはなかった。
もともと体型のコントロールには自信があった私は、体重が増えることなど許せなかった。
食べ過ぎた分はダイエットをしたり嘔吐したりしてでも体重の維持に努めた。
それ以上に過食症であることを周りに気付かれたくなかった。特に母親には。
母親は私に「拒食症だったころのA子を心配していたのだ」と告白し、
食欲旺盛になったことをとても喜んでいた。
本当は過食症なのに・・・
いつしか自分が摂食障害になった原因が母親にあるのだと思うようになった。
母親を憎んでいるわけではない。むしろそんな風に考えてしまう自分が嫌いだった。
認めたくはなかったが潜在的に感じていた。自分は卑怯だと。
次第に過食症が止められないことで自己嫌悪に陥った。
それでも食べている時は何もかもが忘れられた。
これはもう依存症だ。 食べ終わってからいつも自己嫌悪。
周りからうつ状態だと思われていたと思う。いやあの時は本当にうつだったかも。
体重を増やさないために下剤まで利用するようになっていた。
嘔吐のしすぎで食事の際にはのどに痛みを感じることもあった。
もう自分が摂食障害だということを隠せなくなっていた。
一番悟られたくなかった母親にも知られてしまった。
そしてまた自己嫌悪。
その反動でまた過食。まさに負のスパイラル。
母親は自分を責めていた。
「私の育て方がいけなかったのだわ」と。
母親は何も私のことを分かってはいない!
母親にすら理解されていない自分はもう生きる価値なんてないんだ!
そして私は入院した・・・
今だから言える。
摂食障害では過食や拒食をやめられない自分のことを嫌いになるというが、
すでに自己嫌悪が先にあり、自己嫌悪によって摂食障害に陥るといった方が良いかもしれない。
むしろ摂食障害によって自己否定していたことを気付かされることもあるのではないだろうか。
入院した先の先生と母親の話題になった。
先生と話をしていて気づいたことがあった。
それは母親の前では「いい子でいよう」としていたことについて。
実際は、母親が私にそう求めたことは一度も無くて、自分で勝手に「いい子でいよう」としていたこと。
母親は自分のせいだと言っていたが、私の方こそ母親を苦しめていたのかもしれない。
そして摂食障害を止めたいという気持ちがあったができなかったことを先生に打ち明けると、
「A子さん。あなたは摂食障害のおかげで死なずに済んだんだよ」と返された。
「でも私は結果的に現実から逃げたんですよ」
「こころが風邪をひいているんだからそれは治るまで難しい事ですよ。それなのに摂食障害を止めて本来の自分を取り戻そうとしただけでも大変なことなんです。それは自分自身を愛していたからですよ。よく頑張りましたね」
今までそんな風に考えたことはなかった。自己否定しているつもりだったから・・・
私は涙が溢れて止まらなかった。
今では摂食障害に感謝している。
(パクリ言うなよ SHIBA)