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【哲学?】 「結果がすべて」派と「結果が全てではない」派

世の中には2種類の人間がいます。

「褒められたら伸びる人」と「叱られても伸びる人」

よく「叱られると伸びる人」という言葉があるが、あれは正確には「叱られても伸びる人」です。
「叱られても伸びる人」がいるから勘違いた考えが存在するんですね。

と、褒められると調子こいて伸びない僕が、あー?なんだと?SHIBAです。


それからこういう考えもよく二派に分かれます。

「結果が全て」と「結果が全てではない」

よく真っ二つに分かれるこの意見。
さて、どちらが真理でしょう。

日本人には「結果が全てではない派」が多いような気がします。
「結果」よりも「過程」を大事にする考え方です。

例えば試合で負けた場合でも、
「結果が全てではない。これまでの努力と経験は次につながる」
ということはよくありませんか?

でもこれ、次につながるってことは、最終的には結果を求めているんですよね。
このへんチョッと矛盾を感じるかな?

一方。

「結果が全て」派には受験などを例にすることが多いようです。
やり直しが効かないという意味で。

良い結果が得られなかった時に「結果が全てではない」というのは
言い訳がましいというか、考えが甘い!というスタンスですね。


だから僕はこう思う。
「結果が全てではない」という言葉は良い結果を得られた時に使う言葉なら良いのではないだろうか、と。
実際にスポーツの世界で活躍している人にそういう発言が多いような気がします。
向上心の強い人ならそう言うだろうと。
逆に、どんなに内容が良くても悪い結果に終わった時には「結果がすべて」と言うんじゃないかな?

いずれにしても、結果が出てから使うべき言葉なんでしょうね。

結果が出ていないうちに過程を評価してはいけないということです。

昨日の衆院選挙だって与党の圧勝でしたが、あれは圧勝なんてものではなく野党が不甲斐なかっただけでしょう。

アベノミクスはまだ結果を出していません。もちろん成功するか失敗するかはまだ分りませんが。
なのに野党はアベノミクス批判を主な争点にしていましたからね。

本来なら具体的な政策論を打ち出さなきゃいけないのにね。
結果が出る前に過程を評価しちゃいけません。そりゃ大敗するわ。

また、「結果が全て」が歪んだ発想を生み出すのか知らないけど、
最近の若者には「努力しても報われない」と思っている人が多いという調査結果を聞いたことがあります。

どんな場合だろうと最善の努力は必要でしょう。

「努力は報われる」という言葉は間違っているとは思いますが(正確には「報われるとは限らない」)、
だからといって努力を止めた時点で成長はないでしょうね。

落選した海江田さんが「20分でも、30分でもと思って街頭に立ったが、努力は報われなかった」と悔しさをにじませたというが、努力したこと自体は間違っていたわけではない。


(僕?僕は家庭がすべて SHIBA)